大丈夫、生きてるから

 なんか不穏な記事で終わっていたので、取り合えず生存報告ということで新しいの書きます。


 ――3月11日 午後3時

 打ち合わせ中に場内放送で『注意して下さい』と地震警報を知らせる機械音声が流れる。
 みんな「本当か~? 本当に地震来るのか~? まーた誤作動じゃないの~?」と冷やかし気味に談笑。
 すると数秒後、軽い揺れが場内に訪れる。
 「おおー、スゲー、当たったー」と周りは盛り上がり気味。
 が、更に数秒後。
 結構洒落にならないレベルの揺れが襲ってくる。しかも長い。三十秒くらい経っても収まらない。
 みんな机の下に隠れ、揺れが収まるのを待つが、その十数秒後――







 停電。







 そして非常用の電源が作動。









 周囲は騒然。









 これは本格的にヤバいと、皆の顔が明らかに強ばっている。
 
 避難訓練でしか被ったことのないヘルメットを持ち出し、自衛消防隊が活動を始める。が、それはただ右往左往しているだけにしか見えない。
 取り合えず火の元を確認と実験室に行くと、ウォーターバスの水が机の上に飛び散っている。かなり浅く引いていただけの水が、もの凄く広範囲に広がっている。揺れの大きさを改めて痛感させられる。
 居室に戻る。水道の蛇口を捻るが水は出ない。得体の知れない焦燥感。
 PCの電源を落としていると場内放送が入る。
 五階にある食堂に集合せよとのこと。
 わらわらとその場に集まると、総務が持ってきた古い型のラジオが被害の状況を告げていた。


『仙台で大規模な地震が発生。震源地は宮城県沖。地震の規模を表すマグニチュードは7.5』


 仙台の震度は。この場所の震度は

 『4』であの揺れ……。
 
 仙台の状況を想像するだけで震えが走る。

 所長の指示で大津波警報が解除されるまではここで待機。
 そうこうしている間に、ラジオから流れるマグニチュードの値がどんどん修正されていく。
 最初は7.5だったのが7.9に。そして8.2……8.6











 ――最終的には8.8。












 千年に一度あるかないかというレベルらしい。











 最初の内は、なんだかんだで6時くらいには電気も復旧して、7時には電車も動き出して、家に着くのは9時くらいかなと、楽観していた。とてもそんな生ぬるい状況ではない。周りの声で、早くても明日の夕方なんじゃないかという、根拠は無くただ不安を煽るだけの言葉が飛び交い始める。
 そんな中、津波警報が解除。
 所員は自己責任で、帰りたい者は帰って良いということになった。
 
 勿論、『徒歩で』という意味だ。

 信号も作動していないからタクシーは危ない。そもそもタクシーが捕まらない。

 私は残った。

 数十分後、とある部署のリーダーが帰ったとの情報が入る。
 このリーダー、避難訓練の段取りを決める時は無駄に口うるさく。クレーマーよろしく過剰なまでの修正を求めてくる。その辺りは自己判断でやれよというところまでマニュアル化したがる。
 そんな奴が真っ先に帰った。『リーダーは一番最後に逃げるべき』とご高説を説いていたのはコイツなのに。
 こういう非常事態には、その人の人間性が出るというが、まさに醜い本性が露呈した瞬間だった。
 今後、彼が何を吠えようが、全く説得力を帯びないのは間違いない。

 朗報が何もないまま時間だけが過ぎていく。
 断続的にくる余震に心の余裕が奪われていく。
 幸い食品会社だったので、空腹に嘆くことはなかったがいつまでもつのか……。


 午後9時。

 自己責任で帰ったはずの人間が2人戻ってくる。
 どういうことかと聞いてみると、家の中は割れた食器が散乱しているし、電気もガスも水も来ていない。暗くて寒い中、一人で居るくらいだったら、会社にいた方がマシという状況だったらしい。
 否応なく自分の家の中を想像させられる。
 玄関にディスプレイした、飲み終えたウィスキーのビン。熱帯魚の水槽。積み上げた本。
 取り合えず覚悟はしておいた方が良さそうだった。

 あと1時間で非常用の電源が落ちるという中、その原料となる軽油が届いたとの知らせが入る。
 車で通勤していた人が一駅離れたガソリンスタンドで購入してきてくれたらしい。これでもう一晩は明かりが持つ。にしても100Lで1万円ちょっととは……。軽油は水より安いらしい。
 軽油を運ぶために男手が駆り出される。
 私も外に出た。

 そこにあったのは満天の星空

 周りに明かりが全くなく、暗天に浮かぶ星々だけが浮かび上がったかのように強調されていた。オリオン座に北斗七星。教科書で見た星座が、次々と目に飛び込んできた。
 恐らく、ここでは二度とお目に掛かれない光景。
 二度とお目に掛かりたくない光景。


 午後10時。
 携帯テレビが持ち込まれる。故障していたのを、総務で修理してくれたらしい。
 ノイズや色ずれが入り交じる中、仙台の光景が映し出される。

 過大でも誇張でもなく、それはまさに地獄絵図だった。
 火と水が“何か”を押し流している。最初、それが“何か”まったく分からなかった。
 画像が不鮮明だったということもあるが、あまりに現実離れしていて“ソレ”を受け入れられなかった。













 “ソレ”はだった。
















 まるで箱庭におかれたミニチュアサイズの家が、子供のイタズラでホースの水を掛けられたように、凄まじい勢いで押し流されていた。

 誰かが言った。



『これって人も一緒に流されてるってことでしょ?』



 その通りだ。

 家屋が流されるということは、当然中にいた人も流されている。

 テレビの中のリポーターが『海岸に多数の溺死者が打ち上げられている』と読み上げる。











 多数――












 一目では何人か把握できないほど大勢の人が。

 放送される死者・不明者の数は指数的に増えてきている。最初に聞いた『10人』はなんの冗談だったのかと、鼻で笑いたくなる。



 午後11時。

 女性を優先に、寝床の確保が始まった。
 私は五階で椅子を並べて寝た。
 寝た、というより横になった。もともと寝付きが悪いので、雑魚寝などで眠れないことは重々承知だ。これは気休め。しかし気休めでも体力は温存しておかなければ。
 恐らく、明日は6、7時間掛けて帰宅しなればならない。

 徒歩で。



 3月12日――午前1時。

 突然、視界がまぶた越しに明るくなる。
 なんと電力が復帰したらしい。
 言い知れない安心感。
 普段、当たり前のようにある電気の有り難さを痛感させられた瞬間だった。


 
 午前5時

 電車が復旧したとの知らせが入る。
 皆、ばらばらと帰路につく。
 駅に着き、電車発着の表示板を見上げるが、そこには行き先しか映し出されていない。
 ホームで待つこと十数分。電車が到着。
 車内に混雑はなく、席は十分に余っていた。
 窓の外にある見飽きた光景。しかし、ここを歩いて帰ることになったかもしれないと思うと、全く違うように映った。電車が川や高架を横切るたび、これを迂回して歩かなければならないと思うと、それだけで気が重くなる。


 午前7時

 帰宅。
 相当の覚悟をして玄関の扉を開けたが、中は拍子抜けするほどいつも通りだった。
 割れたガラスなどない。水槽にも異常はない。熱帯魚がエサ欲しさによってくる。
 落ちていたのは、せいぜいバランス悪く積み上げていた本の頂点一冊だけ。
 コンポのデジタル時計はリセットされていないから、停電になったわけでもなさそう。ガスコンロも付くし水も出る。
 さっきまでの非日常が嘘のような、平凡で当たり前の室内だった。
 シャワーを浴びて布団で寝る。
 

 午後0時

 インターホンで起こされる。
 相手はヤマト。再配達を頼んでおいた商品が届いた。
 指定した日時通りに。
 平凡で当たり前の光景。

 携帯を見る。
 親からの着信はない。留守電にも何もメッセージはない。
 平凡で当たり前で理想的な状況。







 私は元気です。





















 ……今のところは。

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